(08/09/15 10:00撮影)
県西総合病院は昭和32年に「岩瀬国保病院」として開院、その後
県西地区の5町村(岩瀬・真壁・大和・明野・協和)による、国保直診
の自治体病院として現在の名称となり発足しました。
町村合併で現在はその枠組みが変わりましたが、開院以来高度医
療はもちろん、救急告示病院、筑西地域病院群輪番制病院、二次
医療圏の災害拠点病院として、休日、夜間を問わない患者受け入
れ体制を持つ地域の中核病院として君臨してきました。
しかし、現在社会問題になっている深刻な医師不足や経営悪化に
より、ここ県西病院も診療機能縮小や休止を余儀なくされているの
はご存知の通りです。
そのため、最近新聞でも報道されましたが、県では医師不足解消や
経営効率化などのため「公立病院の再編・ネットワーク化構想」をま
とめ、特に深刻なお隣筑西市の筑西市民病院との再編・統合を検討
する必要がある、としています。
更にこの地域には間にある、旧協和町の協和中央病院との統合も
検討する必要があるとされており、今後の動向が注目されます。
そんなわけで、もしかすると近いうちにこの県西病院が総合病院と
しての機能を失ってしまうようなこともあり得るわけです。
健康だけが取り柄の自分は、小二の時に指を怪我して縫ってもらっ
た以外通院したことはないんですが、岩瀬町唯一のエレベーターの
ある建物として、用もないのに学校帰りにこれに乗るためにお邪魔
した記憶があります。
是非残ってくれることを祈りながら、桜川遺産に掲載します。
投稿者:番長さん
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